4/24/2012

おばあちゃん

先週、お母さんのお母さん、つまりはおばあちゃんが亡くなりました。
こんなことをBLOGに書くつもりはなかったのですが、
おばあちゃんへの手紙のつもりで・・・。

数年前に胆のうの手術をして、去年の1月から入院生活。
「1ヵ月持つか持たないか・・・」と言われながら
おばあちゃんの好きな桜の季節を迎えました。
『このまま何年か入院するのかな・・・それはそれで可哀想だな・・・』
と話していた矢先、
「あと1週間くらいだと思います」とお医者様の宣告があり
その通り、それから5日後におじいちゃんのもとに旅立ちました。

次の日のお昼、和歌山の地元の駅でお父さんの車に乗り
「お母さん大丈夫?」「従兄弟は来てる?」
と話しながらおばあちゃんの家へ。
中学生くらいまでは、うちの家族もお母さんの妹家族も
お盆とお正月はみんな集合していましたが、全員がそろうのは20年ぶりくらい・・・。
「ただいまぁ~」と帰ると、
おばちゃんやおいちゃん、従兄弟の
「おぉ、大人になっとる~」とテンションの高い声。
お母さんも「おかえり~」と笑顔。
すぐ隣の仏間に、眠ってるみたいなおばぁちゃん。
『ん?しんみり感ゼロ??』
というよりも、笑い声が絶えない親族一同・・・。

その後も、おばあちゃんの思い出話は、
「夏休みにホームセンターで遊んでたら店内放送で呼び出されて電話に出たら
『ラーメン作ったから帰っといで』って言われて寄り道しながら帰ったら
ラーメン、スープ無くなって3倍ぐらいに膨れてのびきってたよね!!!
ラーメン作ってから電話する?!おばあちゃんらし過ぎる!!!」
みたいな笑い話ばっかりで、みんなでケタケタ笑って
ときどき、おばあちゃんの顔を見ながら
「あんたらうるさいわぁ~って起きてきそうやね」なんて言ってました。

25年前、57歳の若さでおじいちゃんが亡くなりずっと一人暮らしだったおばあちゃん。
それでもいつも笑顔で天然炸裂だったおばあちゃん。
家族・親戚・友達、みんなが「幸せな人や」って声をそろえて言うおばあちゃん。
そんなおばあちゃんだったので、素敵なお別れの時間でした。

私は2日しかいることが出来ませんでしたが
その短い間にも、おばあちゃんのDNAが
お母さんにもおばちゃんにも私にも受け継がれていると証明する珍事件がいくつも勃発(汗)
おばあちゃんは、おじいちゃんの所に行ってしまいましたが
たくさんの思い出ととんでもないDNAを残してくれました。

おばあちゃん。
おばあちゃんの孫に生まれてハルは本当に幸せです。
たくさんの人に愛されているおばあちゃんが自慢です。
最後まで自分の足でトイレに行った強いおばあちゃんを尊敬しています。
生きている間に「まだ結婚しいひんのけ?」の期待にこたえることが出来なくてごめんなさい。
ひ孫を抱かせてあげられなくてごめんなさい。
いつかそんな日がきたら「遅かったの」と笑ってね。
一先ず、おじいちゃんとゆっくりね。
ホントにありがと。
またね。


0 件のコメント:

コメントを投稿